4月の東京は、ダウンジャケットを着ている人もいれば半袖1枚の人もいる。それぞれの感じ方には違いがあることが可視化されているようなこのひと月が、わたしはとてもすきだ。今だけはどれも正解。変なヤツだとは思われない。そんな気もする。
ほんの数週間たてば目に見えなくなって、これを忘れてしまうから、日本には四季があって良かったなと思う。
ほどよく空いているから大好きで、週末に足しげく通っていたカフェがなくなっていた。
コンセント付きのカウンター、大きなソファー、一人用のソファーなどバラエティ豊かで、おひとり様から家族連れまで、それぞれにくつろげるような雰囲気だった。
コーヒーはマグカップにたっぷり入っていておいしかったし、アイスカフェラテは流行りのジャーみたいなのにこれまたたっぷり入っていてすきだった。
使い捨てのおしぼりがよく濡れているのも良かった。飲食店のおしぼりには、開けたばかりなのにカラッカラのやつがある。くら寿司のおしぼりがまさにそれ。寿司は手で食べるタイプもいるのだから、くら寿司ファンとしてはもう少し大判で、しっとりしているものが欲しい。
このいい感じのカフェから徒歩10分圏内には、スタバ、タリーズ、エクセシオール、ドトール、サンマルク、プロント、ブルーボトル、カフェドクリエがあって、いい感じのカフェが稀に混雑していたり、騒がしかったりした場合の第2候補はカフェドクリエだった。
ここのクリエはクリエ史上なかなかいい感じの椅子を揃えていた。いい感じのカフェよりもさらに空いていて、穴場だった。しかし、いい感じのカフェが無くなるひと月前に、いい感じのクリエはなくなった。
あのいい感じのカフェと、いい感じだったクリエ以外はいつも満席に近く、隣の人との距離が近い。椅子も硬い。椅子から半分滑り落ちそうなくらい深く腰掛けてだらしなく本を読む、みたいなことができない。
カフェがあふれるこのTOKYOの中心で、わたしは行き場を失ってしまった。
空いていてはいずれなくなる運命なのかもしれない。都心でほどよく空いているいい感じのカフェなどそりゃあ長くは存在できないのである。コロナがそれを加速させてしまった。だけどほどよく空いているいい感じのカフェがないのは困る。
「できれば教えたくない店」が存在し続けるバランスって難しい。人気が出すぎたら通えなくなるし、人気がなさ過ぎたらなくなってしまう。
ブログもそうだったりする。オードリー若林さんの『どろだんご日記』が消えた時、とても残念だった。