今から9年ほど前、アスリートフードマイスターの門を叩いた。アスリート向けのサプリメントを開発するにあたり、本格的にスポーツ栄養を学びたいと思ったからだ。それは同時に里田まいさんを筆頭とする、資格者であり、アスリートの妻というポジションに憧れていたからでもあった。
肉体も精神もすり減らしながらたたかうオットを献身的に支えるツマ。目指すはこれだ。
アスリートフードマイスター2級までを取得したころ、アスリートを夫にもつ奥様方、a.k.a「アス妻」の皆さんは、ご結婚後あるいは交際をきっかけに資格を取得しているということに気が付き絶望。最大のモチベーションを失った。
そんなわたしでも、事務局の方の手厚い支援によって、運よくコラム執筆等のお仕事や、TVなんかにも出させていただく機会に恵まれたが、相変わらずのシングルマイスターであった。
アスリートは現役中、食事管理を徹底すべきである。日々の食事は間違いなくパフォーマンスに影響する。食事とトレーニングはニコイチであることは明白なのだが、栄養サポートを受けられているアスリートが少ないのが現状だ。
アスリートの栄養管理は、競技の特性、体格、体調、試合のスケジュールなどに合わせてすべきであるから、ひとりひとりにカズタマイズされたサポートが望ましい。となれば、家族やパートナーといった身近な人間、あるいは本人が知識を持つことが非常に重要になる。それを実現できるのがアスリートフードマイスターという資格だ。
アスリートフードマイスターは、趣味レベルからガチ勢まで多くのアスリートに本格的な栄養サポートを提供できる、すんばらしい存在なのである。
がしかーし、しつこいようだがわたしはシングルマイスターなのである。蓄えた知識の行き場がもはやないのである。「これからでも遅くないよ」なんて慰めは不要だ。
私が資格を取得した時には、全国に100人ちょっとしか存在しなかったアスリートフードマイスター2級は、2020年2月の時点で541人に増えた。「どなたか!この中にアスリートフードマイスターはいらっしゃいませんか?」と声をかければ1人くらいは振り向く世界になったのだ。
「アス妻」の夢を絶たれたわたしは、一般向けのダイエットサポートなどを細々と請け負っていた。どれも短期間で大幅な減量を達成しなければならず、そのためには格闘家の減量末期のような節制が求められた。無茶な目標設定であっても、クライアントの満足につながるならばと考えていた。
モチベーション迷子のわたしに、さらなる変化が訪れたのは2年前のこと。嚙み合わせの矯正手術のため入院し、その後2ヵ月間の流動食を経験した時である。
入院中は消化器系の病を患ったおばあさん達3人と同室で、1人は経管栄養、2人は絶食中だった。経管栄養のおばあさんは小腸だか大腸を摘出したらしく、今後ゼリー以上の固形物を食べられないという。
絶食中のおばあさんのうち1人はほとんど寝たきりだったのだが、看護師さんに「お味噌汁が飲みたい」と細い声で泣きついていた。
もう1人は胃から鼻に管を通して腸の減圧をするという治療をしていた。おばあさんはだんだんと精神が不安定になっていった。特に食事の時間帯になると荒れて、そのうち目に見えない誰かと会話し始め、見えない誰かがおばあさんをいじめるようになり、あまりに泣いて騒ぐので別室へ移された。
わたしは噛まずに飲みこめるものならば何でも口にできたが、タンパク質がどうの、糖質がどうの、なんて以前に、食べられるものが限られ、2ヵ月でげっそり痩せた。
そんなふうに入院と流動食を経験してから、これまでわたしが行ってきた短期集中ダイエット指導に対して思うことがあった。
死ぬ前に「ブロッコリーとささみをあと一度でいいから食べたい…」と思うだろうか。
あまりにもわがままで、極端すぎるかもしれないが、わたしが流動食期間を顧みたくないように、指導する1ヶ月が呪われの食事として記憶されるのが辛い。わたしはダイエット指導をやめた。
となると、相も変わらずシングルマイスターであり、残された非アスリートの減量指導への正義も失ってしまった自分に、資格者としての価値が見いだせないのである。
アスリートフードマイスターとして、支えるべき人がいるみなさんは引き続き頑張って欲しい。先にも述べた通り、実にすんばらしい存在だからだ。
わたしが今、食に対して一番に願うのは、家族や友達との間に「あれ美味しかったよね」「また食べたいなぁ」という共有フォルダが増えたらいいなということである。
だからといってすきなものだけを奔放に食べようというのではない。長く食事を楽しむためにも、健康に気を配る必要はある。甘いもの、脂っこいもの、お酒はほどほどに、がいい。
保育園に通っていたころ、曾祖母が認知症になり、食べたばかりの夕飯を催促してくることがあった。祖父は「さっき食べただろ!」と怒っていたが、祖母は「生きている間に食べられる回数なんて決まっているんだから、また食べさせてあげたらいいじゃない」と言っていた。
それから30年後、祖母は亡くなるまでのひと月を点滴のみで過ごした。あの時、祖母が食べたいと思い浮かべていたものは何だったのだろう。