オジサンの境界線

40歳をとうに過ぎた。

30代も後半になると、同年代のダンシが「もうオジサンだからね〜」とか、「いいオジサンがそろってさぁ」などと言うのがとてもうらやましい。わたしも「オジサン」になりたいのだ。

性別で分けるならば、わたしは「オバサン」と名乗るべきだろうが、「オジサン」と「オバサン」は背負うものが違うように思う。「オジサン」は、もう若ぶりたいなんて気持ちもさらさらないし、だけど若者にはない何かを手に入れているようなそんな感じで、いい感じに歳をとったのが「オジサン」。

一方「オバサン」は老化の香りが強い。「オジサン」には余裕があるけれど、「オバサン」にはもう後がない、そんな感じがする。わたしも「オジサンだからさぁ〜」と言って、今のこの楽しさを噛みしめたい。

自分から見て、オジサン以上かオジサン未満かの境界線を見つけた。それは、「ワンチャン」の用法である。テレビを見ているとしょっちゅうわたしの知らない「ワンチャン」が耳に入ってくるのだ。

「ワンチャン」が「One Chance」の略で、「ワンチャンあるよね」と言うのならば「可能性あるよね」という意味で理解できる。これは少なくとも平成初期からあった言葉だろう。

しかし、嘘だろ!てとこに差し込んでくるのが最近のヤング層。「ワンチャンバレない」とか「ワンチャン時間があれば」とか「ワンチャン帰れなそう」とか、もうこちらは文脈途切れて失神しそう。

もはやチャンスがあるかないかの話ではなくなっていることはわかる。そして、広く何らかの可能性、というような含みを発揮しているのもうっすらとわかる。でもやっぱりわからない。

最近、新しい美容院に通い始めた。担当してくれるのは店長さんで、自分より若いのは明らかなのだが、何歳かは知らない。マスクもしているからお顔の年輪も確認できない。でもわたしと同じブランドの洋服を着ていたりするし、店長だし、世代的な共通点はありそうな気もするな、なんて思っていたところ、先日カット中に「ワンチャン〇〇ですね!」と言うからかなり動揺した。ワンチャンネイティブ世代だったのだ。

いつの日か、クリスマスが日本のイベントになったように、そのうちハロウィンパーティを楽しめるようになるのと同じように、わたしも「ワンチャン行くわ」とか言う日が来るのだろうか。

なんか違うな。